関根さんを偲ぶ会
 
関根先生(2009年12月撮影)

2010年8月1日午前3時に飯田橋厚生年金病院に入院中の関根智明先生が亡くなりました。昨年の春頃から「肺がんになった」と自分でおっしゃっていました。見る限りは顔色もよく、癌の進行が遅いのだと思っていました。この5月に圧迫性骨折で歩くのが不自由になり、それでも7月の選挙は投票に出かけたそうです。これが最後の外出でした。22日に厚生年金病院緩和ケア病棟に入院して、容態が急変し意識もなく話もできない状態で、ご家族が交代で付き添っていました。

関根さんご本人の遺志で「葬式はやるな」ということでした。ご家族だけで荼毘に付されました。

(わかやま)

  

管理工学科が武蔵小金井にあった頃、関根先生を取り巻く広い人脈がありました。学科外、学外にも、有名人がたくさんいらっしゃいました。葬儀がなかったのでこれらの方々が関根さんと「さよなら」をする機会がありません。関根研1期生の真鍋さんと「関根さんを偲ぶ会」を10月末から11月上旬の土曜日の午後に開催しようという話が進んでいます。関根研以外にも関根さんの薫陶を受けた管理の卒業生も大勢いると思います。

すべての人に案内をお送りすることは叶いませんが、謂わばシニアバージョンの「お別れ会」ということになろうかと思います。関根研出身か否かを問わず、参加いただける方には、詳細のご案内をしかるべき時期に用意いたしますので、真鍋でも若山でも結構です。ご連絡をいただけるとありがたいです。

今後も本ページに連絡事項を追記していきます。チェックをよろしくお願いします。(8月18日)

8月29日(日)に関根研究室同窓生による「関根先生を送る会」が開かれました。80名を越す出席がありました。主催者は関根研の若い連中です。この会が開かれるにあたって、私は怒りました。「何故、1期生に相談もなく追悼会の開催を勝手に決めたのか」と。

彼らは関根研の卒業生に声をかけると言います。同僚だった先生方も呼ばないと言います。これでは困ります。関根さんは大学だけでなく社会との付き合いの広い方でした。その方々をお呼びしなければなりません。そのためには8月29日では時間が切迫していて間に合いません。「延期しろ」といいましたが、「ご遺族の了解をとりました」というだけで埒が明きません。わが後輩ながら、自分勝手で気の利かないことは日本一です。

というわけで、私達シニアは計画通り、声をかける範囲を管理旧教員関係・日科技連OR教育・情報処理関係・関根カンパニー関係・関根研以外の管理同窓生などに拡げます。拡げるといっても馬鹿でかい人数にする積りはありません。詳細が決まったらご連絡いたします。(8月30日)

「偲ぶ会」

「偲ぶ会」は11月6日(土)2:00−4:00に「ホテルグランドヒル市ヶ谷」にて開催されました。

この会には、関根家のご家族、管理の先生方や関根先生の旧知の方々、それに管理工学科の卒業生あわせて80名を超える賑やかな会となりました。

  

皆さん、この先生の近影はお嬢様の知子さんが、私のところにメール添付で送ってくれたものです。ご自分で関根先生の名前でネットサーフをしていて「管理3期のHP」を発見されたとのことです。びっくりしました。先生のお名前で検索すると大量な著書や訳書の「出版社の宣伝」が山のように出てきます。よくぞ、見つけました、知子さん。早速、古い写真を取り替えました。有難うございました。


「関根さんを偲ぶ会」は予想外の80名を越す出席をいただき、懐かしくも楽しい会となりました。

管理1期、3期の真鍋龍太郎、柳沢滋、松木顕一、福川忠昭、田中慎吾、若山邦紘が

「偲ぶ会」の準備と当日の世話役をさせていただきました。

何かと不行き届きのことがあったかもしれません。

笑い飛ばしてください。

早速、何人かの方から写真を送っていただきました。

戸川隼人さん、石野恵一郎さん、林 荘祐さん、有難うございます。

他にも写真を撮った方はよろしかったら若山宛にお願いします。

2時間の会があっという間に時間が来てしまいました。


ミニライブをやりました。関根夫人が「若山さん、関根に歌ってあげてよ」と仰るのです。何十年か前には関根さんに歌やコーラスも聞かせたことがあります。関根さんは音楽も芝居も好きでした。コンサートにも一緒に出かけたものです。

奥様のプロポーザルを受けて、ピアニストの大原江里子を連れてきました。シャープス&フラッツというジャズのビッグバンドを60年も引っ張ってきた原信夫さんは、江里ちゃんの義理のおじ様にあたります。原信夫さんの奥様が江里ちゃんのおば様で、シャープス&フラッツの初代のピアニストです。1950年のことです。

現在は、江里ちゃんの妹夫婦が開いている神楽坂「もりのいえ」というピアノ・レストランが主たる演奏場所です。



このビデオは限定公開です。

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ビデオ撮影:林 大雅さん(1期)

 

その1

歌のトップバッターは小笠原暁先生です。昔からお歌を歌いに神戸三ノ宮にあったシャンゼリゼというシャンソニエや北野坂にあったDr. Jazzに通いつづけました。

先生の最後の勤めは芦屋大学学長でした。引退後は生まれ故郷の東京に戻り最近は 赤坂にあるTrois Porteというピアノバーでまだ現役で歌っています。後ろで控えているのは若山の家内です。小笠原先生と出かけるときは、危ないと言って、手を引いて歩きます。椅子につかまって歌うように世話をやいていました。小笠原先生の紹介ページがあります。

2人目は松崎奈岐さん(管理工学科⇒東京学芸大学)のフルートです。学芸大定年退官間近の1991年、元インスブルック交響楽団のフルート奏者新谷要一氏と出会い、初めてフルートを手にすることになったのですが、この日の2日前に9回目のリサイタルを終えたばかりです。初めの頃は足が震えているのが分かるくらいでしたが、今は落ち着いて演奏されるので、安心して聴いていられるようになりました。 松崎さんのページもあります。


その2

3組目は爺さんから見ると若者が歌います。福田公明君(13期)がサバティカルで日本に帰っていました。いいタイミングで出席の返事が来ました。「福田も歌うか?」と聞いたら、ビートルズから”Hey Jude”を選びました。一人では心細いと、住田潮君(12期)、山本芳嗣君(12期)、有馬直彦君(14期)が一緒に歌いました。

ミニライブのとりは、若山邦紘(3期)が蝶々夫人にまつわる歌とニューオリンズを懐かしむ歌をカミサンとのデュエットで歌いました。それで、予定した時間がきました。

関根さんは硬い難しいことばかりでなく、やわらかいことにも興味を持たれいろいろ楽しんでいたのです。

管理3期の出席者は、関根研全員、内田善朗、佐藤隆三、佐藤義郎、沢木 隆、原  靖、松木顕一、若山邦紘と土居範久、原田賢一、大瀬貴宏、田中慎吾、田村道雄、佐藤邦隆、濱田洪一、福川忠昭、福川知子、若山美矢子(17名)でした。

 

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