管理工学科3期生サイト

恩 師 の 消 息

山内二郎先生には、われわれのクラス会には出ていただいておりません。学部学生時代に新宿の「玄海」でクラス会を開いた記憶がありますが、先生方をお呼びしたのかどうか憶えていません。先生が1984年になって身体がだんだん衰えてきて中野の病院で静養中だった3月に卒業20年のクラス会を開催したのです。

おじいちゃんは元気にベッドに座って、大学ノートを開いて関数近似の数式を展開されていました。「頭がボケるといけないから」とおっしゃいます。

粋な病院の計らいでワインをグラス2杯は飲んでもよろしいということでした。実に嬉しそうでした。そこで、つぎにお見舞いに行く時に小さなビンのドイツワインを仕入れて持って行ったのを思い出します。1984年03月31日85歳で亡くなりました。

「2000年まで生きると、3世紀にわたることになる」と楽しみにしていたのですが・・・

いつの時だったか西荻のお宅で「こんなもの貰った」と見せてくれたのは、勲一等の勲章でした。

  


坂元平八さんは、84年のクラス会に出ていただきました。卒業40年のクラス会の時に亡くなりました。2004年4月14日でした。秋頃に「偲ぶ会」が品川のパシフィックホテルで開催されました。そこで、20年ぶりに松崎さんに会いました。

平八さんはよく私の自宅に呑みに来ました。当時はサントリーのダルマでしたね。すると奥様に電話をします。「若山君のところで呑み出したから遅くなる」すると、気象統計が専門だった籾山政子さん(奥様)は烏山の自宅からタクシーに乗って平八さんに合流してきたものです。

授業では2年のときに応用確率論、OR1、3年でOR2でした。煙に包まれたような講義でした。「むにゃむにゃ・・これはマルコフですかねぇ?」・・・これじゃ、禅問答ですよ、先生。4年のとき、計算機研究会の後輩に線形計画法を教えようとした時、シンプレックス計算の手順を教えられません。愕然としました。制約条件の凸多角形の端点に最適解があるなんていう理屈は知っていても計算が出来ないのです。

  


高橋吉之助さんは、管理工学科が開設される時に経済・商学・会計学に関連する分野を管理工学の一本の柱として立ち上げるために三田の商学部から移籍していらっしゃいました。高橋さんに助手でついてきたのが伏見さんでした。

よく武蔵小金井の改札口で一緒になると、「タクシーで行こう」となります。誰か管理の学生がいると一緒に乗り込みます。管理の玄関まで来ると、「細かい金がない、誰かたて替えて出しておいてくれ」・・・払ったことがある人、どなたか居ますか?

1992年05月13日に72歳で亡くなられました。今のわれわれの歳です。若くて亡くなったのです。早く亡くなられましたから、1984年のクラス会だけ参加です。

  


千住鎮雄さんは、機械科の出身でした。「藤原工業大学」が日吉に開設された頃の学生です。管理工学科ではIndustrial Engineeringの教授として参加しました。川瀬さんは千住さんについて管理の助手になりました。IEや生産管理論は工場での計画・管理の仕事に役立ちました。われわれが在学中に「経済性工学」という分野を確立されました。われわれは授業の実験台でした。

一家全員が有名人ですが、真理子ちゃんはバイオリンが上手でコンクールで優勝してしまいました。ストラテバリウスを弾くようになりましたが、千住さんがキュー(弓)を買ってあげた話を聞かされました。「うん百万」だったと。

千住研は人気研究室の一つでゼミ生が多い研究室でした。千住さんは2000年09月27日に亡くなりましたが、信濃町のお寺での葬儀の祭壇は日本画家で名高い博さんが供花をすべてばらばらにして飾りなおした祭壇でした。生まれてはじめて見る夢のように美しい祭壇でした。

  


浦 昭二さんは、永年続けてきた研究会のメンバーを中心に「情報システム学会」を立ち上げることになりました。2005年4月23日に神田学士会館でその設立総会が開かれました。竹並さん(管理2期生・新潟国際情報大学)から連絡を受け、若山も発起人にさせられました。

初代会長にはIBMの北城恪太郎さんが総会で選出されました。多くの管理の同窓生が創立時の役員を務めます。みなさん、会員になってください。インターネットで手続きOKです。簡単、迅速です。

2009年のクラス会には体調を崩されて欠席でした。

2011年、交詢社でのクラス会には奥様が付き添いで参加されました。足元が危なくなられました。

細野から松木経由で浦先生の訃報が届きました。2012年8月16日に85歳で逝去されました。謹んでお悔やみ申し上げます。

その2ヶ月ほど前、浦先生の認知症が進んで身体も弱られたという話を私が通っている歯医者で聞きました。浦先生一家は歯の治療は桜新町の宮坂デンタルオフィスに通っています。1970年管理卒の宮坂君は博士課程を終わってから、東京医科歯科大学に行き、6年後に歯科医になり茅ケ崎で開業しました。

彼の息子達もいい子で生まれる前から知っているのですが、親の後を継いで歯医者に育ち、長男は桜新町で歯科医院を開いています。浦さんの家から近いのです。一度、浦さんの顔を見に行かないとと思っている矢先に訃報が来てしまいました。(2012/8/20)

「浦先生を偲ぶ会」が開催され、管理3期は6名(土居、原田、笹氣、柿澤、大山、若山)が参加しました。

⇒ 浦先生を偲ぶ会

  


林 喜男さんの近況を濱田君が知らせてくれました。(2010/9/9)

2010/06/12(土)第3回林研OB研究会の動画です。


http://www.youtube.com/watch?v=2VG03qgFGO4

林さん以外で発言しているのは、赤井忠夫君です。

第4回OB研究会は2010/09/11(土)でした。「消化器癌治療の現状と問題点」という題で、森山記念病院外科部長の本橋英明君です。彼は1986年管理工学科林研を卒業後、東京医科歯科大学に進みました。当日の出席メンバーは、林 喜男先生と赤井忠夫、北村和彦、濱田洪一(64年卒)、細田篤志郎(66年卒)、関 孝(72年卒)、内田直康(77年卒)、本橋英明(86年卒)、堀 貴子(89年卒・敬称略)でした。(9/14濱田)

私たちの歳の者が集まると、病気の話になります。本橋君の講演は興味深くためになる話だったと聞いています。

林さんは2009年、2011年とクラス会に出席、2012年は欠席されています。

林先生、2月21日奥様が運転中に単独事故でお二人とも背骨を骨折され、奥様は一ヶ月入院、先生はご自宅で療養されていました。5月に同期の3人(赤井、北村、濱田)でご自宅にお見舞に行きました。その時はお二人とも、腰のコルセットで歩いてらっしゃいました。

事故は、交差点の信号が替わったのでスタートしたところまでは覚えているが、その次、気がついたときは病院のベット上だったそうです。車は廃車。先日の同期会の時、林先生と又連絡を取ってみないといけないなと話し合いました。(2012/10・濱田)

2014年のクラス会案内に返信が来ません。心配して濱田に尋ねました。4月に誤嚥から肺炎を起こし入院されたそうです。残念ながら欠席でした。(2014/10/3)

林先生の回復を皆が祈っていたのですが、2014年10月7日13時14分にご逝去されました。88歳でした。ご葬儀は東小金井の多摩式典小金井会館で10月9日・10日に執り行われました。謹んでご報告いたします。(2014/10/10)

  


関根智明さんも「肺がん」かと入院したところ肺気腫で、助かりました。ほっと胸をなでおろしました。次に、大動脈瘤が発見されこれも手術で全快し、最近は相変わらず長電話してきます。 お医者さんも、何かと質問攻めのうるさい患者で大変だったようです。

それが、今度(2006/7)は結核で入院を余儀なくさせられてしまいました。80近くになってから入院続きです。8月には退院してきました。確かなことは分りませんが、本人の話ではリウマチの薬の副作用で結核菌が増えたのだと言っています。

「日吉は遠い!」と言っていました。前々から知らせてあるのに、2007年、2008年の2回とも出てきません。足も弱ったと言っていましたが、電話での話は今も2時間です。車なら拾って乗せて来ますが、都内の駐車場のあるホテルと違って車で来る気がしません。飲めないしね。

2009年10月25日ですが、午後に1時間半の電話がありました。相変わらずの話なのですが「おい、肺がんになってしまった」という話です。こりゃ大変なのですが、その話はそっちのけで、いつもの調子で長話になりました。近いうちに様子を見てきます。(わかやま09/10/25)

今日見てきました。電話の長話は半年に一度か二度やっていますが、しばらく顔を見ていませんでした。顔色はきれいで見るだけでは健康人です。それが「肺がんで小腸(本当は大腸とのことです)にも来ているらしい」と相変わらずでかい声でしゃべりまくっていました。珍しくうちのカミサンと犬も同行したので、関根さん張り切って喋りが止まりません。「これから授業だから学校に行く」といって別れてきました。当面、手術はしないらしいです。(わかやま09/10/27)

2010年6月の末頃です。恒例の長電話なのですが1時間もたたない内にくたびれてしまったようです。息が苦しそうでした。「身体中が痛い」とおっしゃっていました。チョット心配です。(わかやま10/6/末)

2010年8月1日、厚生年金病院のケア病棟に入院中でしたがついに亡くなりました。83歳でした。この世は静かになりましたが、あの世はうるさくなりました。(2010/8/1)

「関根さんを偲ぶ会」のページ

  


鷲尾泰俊さんは、近年インドに教育に行ってらっしゃるとのことです。インドに10日もいると日本酒と日本料理が恋しくなって帰られます。そうすると、暫くしてまたお出掛けになるということです。われわれが学生時代から日本酒のお好きな先生でした。後輩の加藤豊君が教えてくれました。

今もインドに行かれているそうです


2012クラス会 銀座Sun-mi高松

クラス会への出席は、2004年、2009年、そして2012年です。まだインド教育は続いているそうです。2012年のクラス会のご挨拶で「ぼくの講義は上手くなかった。しかし、君達は素晴らしい素質を持っていた」と話されました。とんでもないことです。鷲尾さんの実験計画法の講義は、あの冷房の無いぼろ教室で、暑さを感じさせない名講義でした。そんな名講義は鷲尾さんだけでした。(2012/10)

2013年10月のクラス会にも続けてのご出席です。もう、84歳だとおっしゃいますが、誰も信じないくらいです。お帰りになってからメールが届きました。このホームページのURLを教えてくれと。早速、ご覧になったのです。この下にある師岡さんの「痴呆の歌」を聞かれたのです。「途中で切れてしまうよ」とのメール。確かに一番の途中で切れています。元のCDから録音しなおしました。(2013/10/29)

2014年のクラス会は残念ながら所用のためご欠席でした。(2014/10/3)

2015年もご欠席でした。来年は来てください。(2015/10/17)

2016年はお元気で参加いただきました。87歳です。(2016/10/22)

2017年、家内の体調を考えると、欠席の可能性が高いので欠席させてください。(出席できるようでしたら私の方から連絡します。)  最終、欠席通知

転居通知:ご自宅の向かいにあるサービス付き高齢者マンションに引っ越しました。詳細を知りたい方は管理者の松木か若山にお聞きください。(2018/7/28・わかやま)

2018年クラス会には当初、出席予定でしたがインド行きの準備で忙しくなり欠席。

  


師岡孝次さんは、管理から東海大学の経営工学科に移られました。我々の3期生の某三菱商事の有名人の息子が推薦で東海大学工学部に入ることになり、経営工学科に進むことになりました。有名人は私に「師岡先生を紹介してくれ」といいました。紹介なんて必要ないじゃろう。彼は如何に学校に出ていなかったかがわかってしまいます。

2003年の秋だったと思いますが、師岡さんから「CDを出した」ということで、ありがたく頂いたところ「痴呆の歌」という凄いタイトルにびっくりです。本棚にあったのを思い出しました。

政治も 病も 痴呆の時代
あなた 生まれが地方でしょう
わたし 病が 痴呆なの
ふたり揃って 痴呆では
どうすりゃ いいの
先生 先生!
みんなでかかれば 怖くない
これが チチチ
痴呆の 処方箋!

ついに師岡さんは作詞作曲までやってしまいました。このシングルCDですがご丁寧にカラオケまでついています。

痴呆の歌 をお聴きください

もう1曲 WELLNESS はがらりと・・・

2011年の交詢社でのクラス会に出席されました。われわれの卒業20周年のクラス会、40周年のクラス会、2007年、2009年、2011年と皆勤です。そこで、皆勤賞表彰ということで大きな花束を進呈しました。2次会をささやかながら赤坂の若山の行きつけの店Little MANUELAで行いました。師さんもついて来られました。

それで、安心したのか2012年は初の欠席です。これで皆勤賞は誰もいなくなりました。

2013年はご出席です。師さんは1930年生まれです。もう、先生方80歳を越してしまったのですね。(2013/10/29)

2014年もご出席です。隣に座って昔話をしたのですが、師岡さんおんなじことを何度も言うのですよ。「ハーバードに行くのにハワイとサンフランシスコで給油しないと行けなかった」(2014/10/3)

2015年は久し振りのご欠席(2度目)です。

2016年も欠席になりました。(2016/10/22)

2017年、欠席。

2018年、欠席

  


森 敬さんは専門が経済学で自分のドクター論文は日本経済の計量経済学モデル分析でした。我々が小金井に通いだした頃。、敬さんの研究室には研究資料・経済データの整理のために2人の手伝い(助手の助手)を雇っていました。私は凄い助手だなと思いました。そうしたら、森ビルの御曹司と知って「なんじゃ、そんなら腐るほど金はある」で納得でした。よく森敬さんの車で銀座、新橋方面に遊びに行く時は、虎ノ門愛宕山通りのまだ初めのころの森ビルの駐車場に駐車して飯を食いに行ったりしたものです。

敬さんは何でも私に話しました。たくさんお見合いをしたのですよ。奥様になった洋子さんとの世にも珍しい見合い話を自らしてくれました。われわれは唖然とするのみでした。みんな知ってんのかねぇ?誠にお似合いの夫婦でしたよ。

でも森敬さんは肝臓を患い入退院を繰り返していましたが、1990年57歳の若さで亡くなりました。築地、西本願寺での大葬儀でした。

  


伏見多美雄さんは高橋吉つぁんの講義に必ず付いて教室に来ました。吉つぁんの講義は財務諸表(B/S、P/L)の作成演習が中心で毎時間あたらしい資料が配られたのを思い出します。

後年には千住さんと「経済性工学」という新しい教科を作り上げました。長期間のファイナンシャル・フローは利率を導入した経済計算が必要となります。それによって最適な意思決定につなげようという考えです。今では、どこの大学の経営工学科でもこの授業がカリキュラムに組み入れられています。

伏見さんは管理からビジネス・スクールの教授に転身されましたが、2006年に78歳で亡くなりました。

  


佐久間章行さんは、山内二郎先生が青山学院大学に経営工学科を創設される時に赴任されました。先日(2010/11/4)、松崎さんのフルート・リサイタルが東京オペラシティで開催され、会場でお会いしました。その2日後の関根さんを偲ぶ会にも出席していただきました。面白い名刺をもらいました。趣味のオーディオ・スポットRumbullion(ラムバリオン)佐久間章行と書いてあります。写真がありますがベリー・ダンスだそうです。

それに関連して、2010年6月に「音楽三田会報」に「音キチ人生と塾」を寄稿されました。これを読んでいただけば、どんな音楽ファンであるか、どんなオーディオ・ファンであるかがわかります。1935年3月生まれ。

⇒ 「音キチ人生と塾」pdf


佐久間家にて

 ラムバリオン訪問記 (2012/12)
 

2013年もご出席です。笹塚のお宅でご自慢のオーディオ装置を拝見しさまざまな映像・音響装置を見せてもらいました。おったまげました。上のラムバリオン訪問記に詳細があります。(2013/10/29)

2014年も元気に出席です。前の晩も松崎さんのリサイタルに出かけ2日続きです。(2014/10/3)

2015年10月です。今年も出席の予定ですが、それに先立ち、松崎さんのリサイタルでお会いしました。クラス会にもご出席です。

現在、ホームページ人類存続主義を編集中だと言います。しかし、その内容をそのまま公開することを危険視する意見が出ています。(2015/10/21)

2016年は句会のため欠席です。(2016/10/22)

2017年は出席。

2018年は出席。

  


川瀬武志さんはGNN教の教祖様です。GNNとは「義理・人情・浪花節」の頭文字を取った略号です。川瀬さんの教えです。川瀬研のメンバーはこの教えを実践しました。

川瀬さんは、管理では際立って人間的な人で弱い者の味方でした。勉強のできない学生も安心してついて行けた人です。私は川瀬さんを「川瀬のオトーチャン」と呼び、川瀬さんは私を「ワカチャン」と呼びました。今でも変わりません。

このロゴはGNNと「人の和」を意味する川瀬さんのマークです。私は関根研のメンバーでしたが、私は川瀬教祖に認められ、会社の工場での研修などを泊まり込みで手伝いました。昔のHotel New Japanに泊まり込んであやしい仕事をしたこともありました。何だったか忘れました。

このマークをデザインにネクタイピンが作られました。私は川瀬研ではありませんが、功績があるのでこのネクタイピンをもらいました。

 大体実物大です。

平成1年にはIEコンサルティングとネットワーク事業を看板に株式会社ジー・エヌ・エヌを設立しました。

http://www.gnn-inc.co.jp/pc/

さっきメールが来ました。もう、1年ご無沙汰でした。そうしたら、バイパス手術もして、今年はこれから白内障の手術だそうです。「早く隠居しなさい」と言っておきました。(2012/11/9)


ケーキを食うのだ

2014年は10年ぶりの出席。嬉しかったですねー。若山はオトーチャンとは腐れ縁でよく一緒に仕事も遊びもしました。新百合の自宅でマージャンもよくやったし。(2014/10/3)

2015年は欠席です。(2015/10/17)

2016年も欠席です。若ちゃんが呼びに行かないと他の人の顔は浮かばないのです。我々が3年から4年の頃はジョージアTechに留学していたからです。(2016/10/22)

2017年、お蔭様で未だ元気にコンサルティングをしています。皆様とはあまり面識がありませんので欠席させてください。

2018年、4年ぶりの出席!

  


松崎奈岐さんを覚えてますか?2年の時に微分方程式の演習でお世話になりましたが、管理工学科を退職してから東京学芸大学で定年退官まで数学の教授でした。坂元平八さんが2004年4月に亡くなり、秋に開催した追悼会でお会いました。今はフルーティストです。音楽と数学の共通性に面白さを感じておられるようです。今度、コンサートがあるときは掲示板にお知らせを出します。

1984年以来、2009年のクラス会に25年ぶりに参加していただきました。われわれが卒業する前に管理の助手を辞められていたので、何十年も会っていない方がいます。(2009/10/17)

リサイタル 2014年10月2日(木) 初台東京オペラシティ近江楽堂

⇒ フルート奏者 松崎奈岐

2014年は4年ぶりの出席。毎年、この時期にリサイタルがあります。今年はクラス会の前日がリサイタルでした。お疲れのところをものともせず久し振りにみんなに顔を見せてくれました。(2014/10/3)

2015年のフルート・リサイタルを終えたばかりですが、出席してくれました。みなさん、一度は松崎さんのリサイタルに来てください。佐久間さんと若山が常連です。(2015/10/17)

2016年は10月17日がフルートのリサイタルでした。一年間のレッスンと練習を土台に年一度の発表会です。歳も若くはありません。疲れが取れないのです。(2016/10/22)

2017年:私、今年1月に圧迫骨折による腰部骨折、1ヶ月の入院後、1ヶ月コルセットをつけて施療、その後リハビリに通い、現在に至る。今はステッキもなく歩けるように回復。フルートによる発声を練習しています。高齢者の一人として懸命に生きています。

2018年、返事が来ていません。ちょっと心配です。

その心配が当たってしまいました。青森県八戸の松崎さんのお嬢さんから「訃報」が届きました。2018年10月11日に88歳で永眠との知らせです。もう、フルートも聞かれません。安らかにお眠りください。(2018/11/27・わか山)

  


岩田暁一さんに50年ぶりに会いました。2012年11月8日の松崎さんのフルート・リサイタルに奥様が引率者で聴きに来ました。耳が遠くなってしまってでかい声でしゃべらないと通じません。この日はリサイタルの常連になった佐久間さんも出席されたのですが、面白いことに若山が「佐久間さんですよ」って紹介しました。岩田さんは「頭がつるつるでわからねえよ」っていう調子。


岩田暁一(1933.5.6- )

今夕、松崎奈岐さんのフルートリサイタルに行ったら、法政へ行った管理3期生の若山君に声をかけられ、佐久間章行君にも紹介された。佐久間君は頭が坊主になっていて紹介されなければ分からなかった。松崎さんはすっかり数学者から音楽家に変身していた。
(岩田さんから川瀬さんへの報告メール・2012/11/8)

岩田暁一さんも我々の卒業前に三田商学部に移りました。1933年生まれ、現在79歳だそうです。(2012/11/9)

まだ、管理3期の集まりには出席したことがありません。(2015/10/17)

2016年も現れることはありませんでした。(2016/10/22)

2017年:PCを友として研究を続けています。

2018年、欠席。

  


柳井 浩さん日本OR学会から「普及賞」を授与されました。OR普及の功績に対する表彰です。おめでとうございます。ところが、2005年3月に十何年ぶりに腰が痛くなってただ今検査中です。ヘルニアの再発かもしれません。後日、さっさと2度目の手術をされて、ただ今快調です


OR学会普及賞

柳井さんは、我々のクラス会には皆勤です。今度、表彰しましょう。

ところが2011年のクラス会で欠席で表彰を逸してしまいました


柳井さんと遠足(2012/9/1)

柳井さんは遠足が好きで、時々爺さん同士で近場の遠足をやっています。つい先日は水上バスで葛西臨海公園から新しくできた東京ゲートブリッジを見物し、お台場で食事をして一杯やってきました。2012年は出席です。

2013年もご出席です。筒のこちらから音を発すると、筒の出口から音は出て行くと思われます。しかし、反射して音が返ってくるのだそうです。「今度、三峰山のトンネルで実験しないか?」・・・相変わらずの実験好き、死ぬまで治りません。(2013/10/29)

2014年も元気に参加です。柳井さんは学部時代は計測工学科でした。御大は真島正市先生でした。「ディジタルなんて知らない」というお話、面白かったです。(2014/10/3)

2015年もご出席です。我々の先生の中で一番若いのです。(2015/10/17)

2016年も元気に参加です。(2016/10/22)

2017年:「八十歳になり益々衰弱しております」と言いながら元気に出席。

2018年、出席。

  


大駒誠一さんはわれわれが小金井に移った頃は、浦先生の下で研究員として管理の教員室にデスクがありました。後に教員になられわれわれの後輩たちは指導を受けました。NHKのコンピュータ講座では”COBOL”の講師でした。昔から囲碁が趣味で、関根さんとは碁仇でした。若山の父が6段でしたので、四番町の座敷で関根カンパニー関連の人を集めて碁会が何度か開かれましたが、大駒さんはいつも出てきました。

2007年、2009年の日吉・来往舎でのクラス会には連続出席でした。

2013年は久し振りの出席でした。「おい、碁やってる?」「全然、やってないよ」 
大駒さんらしい質問でした。(2013/10/29)

2014年も出席です。言われる前に「碁やってる?」って言ってやりました。昔は関根さんが碁仇だったのですがねぇ。わたしも碁石を触ったことがありません。(2014/10/3)

2015年は欠席でした。大丈夫なのかなぁ。(2015/10/17)

2016年は法事のため欠席です。元気ですって。(2016/10/22)

2017年:「変更なしと出席。

2018年、出席。

 

  

恩 師 の 没 年

山内 二郎先生 1984年03月31日 85歳

森   敬先生 1990年02月25日 57歳

高橋吉之助先生 1992年05月13日 72歳

千住 鎮雄先生 2000年09月27日 77歳

坂元 平八先生 2004年04月14日 89歳

伏見多美雄先生 2006年08月23日 78歳

関根 智明先生 2010年08月01日 83歳

浦  昭二先生 2012年08月16日 85歳

  喜男先生 2014年10月07日 88歳

松崎 奈岐先生 2018年10月11日 88歳